profile "Ma*To"

★"Hi-Tech &Lo-Tech" をモットーに、タブラ&コンピューターをプレイし、テクノロジーと音楽の接点を求めて活動するダブ・アーティスト、自称科学者。
「愛」をテーマに世界平和を目指す総合研究所「Love Tech Lab.=L.T.L.研究所」を主催する。マット・サイエンティスト。か?
※彼のプロフィールは他のメンバーとは異質(?)なので年表形式にしました。(管理人より)

マット・キーボード画像


★1974-1975

高校在学中より内外の学園祭、アマチュアコンサート等のS.R.やデモテープ録音を手懸け始める。

★1975-1976

S.R.会社(株)ヴァーゴにて、プロS.R.エンジニアとしての修行を始める。カルメン・マキ&5X全国ツアーにS.R.スタッフとして参加。

★1976夏-冬

"cha-cha2"のメンバー(シンセ、オルガン担当)としてヤマハポピュラーソングコンテスト全国大会で、グランプリを受賞その流れで世界歌謡祭に出場。
コミックバンドとしてはウケたが賞なし。

★1976-1981

"野毛ハーレムバンド"に参加、S.R.Engineeringを担当しながら、ダブ・イフェクトを始める。

★1976-1984

(株)ヴァーゴにて、S.R.チーフミキサーとして主にヤマハ関東、甲信越地区におけるPop-Con、East-West等のS.R.を担当。

★1977-1979

委託契約社員としてヤマハ桜木町センターホールに勤務。S.R.およびRecording担当音響主任の地位を利用して、豊富な機材と自由な環境のもとに、音楽的、音響的実験に明け暮れる。

★1978-1980

ヤマハ(株)横浜店音楽教室および日吉センター音楽教室にて、Synthesizer科の講師を勤める。

★1979-1981

渡辺プロ所属のテクノバンド、"チャクラ"(板倉文、小川美潮他)にMixing Engineerとして参加、 ビクターレコードよりデビュー。影のメンバーとして板倉文と共に音楽的実験に励み、新たなサウンドを 具体化する方法論の研究をする。
ライヴコンサート時においては、リアルタイムのダブ・ミックスS.R.をしつつPA席からシンセを弾き、合間を縫ってリズムマシンとシーケンサーの打ち込みをするといった、メモリーの無い当時としては無謀とも言える、独特かつ高度なパフォーマンスを展開していた。 1st.アルバムの録音で訪れた神谷スタジオで、持っていたオリジナルの電飾バッジ(発光LED使用:数年後に同類製品は市販されるようになる)が同スタジオの神谷繁重氏の目にとまり、以後しばらく同スタジオに出入りするようになり、コンピュータ理論を基礎から学ぶ。

★1978-1980

ヤマハ(株)横浜店音楽教室および日吉センター音楽教室にて、Synthesizer科の講師を勤める。

★1980-1981

"Wha-Ha-Ha"(坂田明、千野秀一、神谷繁重、仙波清彦、小川美潮、村上"PONTA"秀一)に、ライヴコンサートにおけるシンセ&シーケンサーのマニュピュレーターとして参加。 この頃よりシンセの音造りを主に、Synthesizer Programmerとして、レコーディング現場に呼ばれるようになる。

★1981-1982

"チャクラ"から一時脱退。ハンディシンセ(CS01)とリズムマシンを手に、印度-中近東-EC諸国-米国に単身1年間渡航する。半年間のインド滞在にてタブラを習得、残りの半年で陸路十数ヶ国を廻り、 ニューヨークにてFairlight C.M.I.のオペレーションを習得。

★1983-1987

帰国後、"チャクラ" にメンバーとして再加入、3rd.アルバム "南洋でヨイショ" 以降の第4期チャクラに おいて、タブラ、Electric Percussion等を担当。
同メンバーの板倉文、清水一登と"KILLING TIME"名義で活動を始める。タブラ、手弾きリズムマシン、 テープコラージュ、パーカッション、キーボード等を担当。
田中聖一、鈴木亭明ら(元 "TENSOW")のバンド "POISON POP" にシンセベースで参加。
"小川美潮BAND(Epic Sony)"、"U.P.L.M"、"はにわちゃん(CBS Sony)" の専属ミキサーとして各地の ライブコンサートをサポートする。
溝口肇、橋本一子、小川美潮、ゴンチチ等のライブ、コンサートツアーにタブラ、キーボード、エディット等で参加。

★1984

ギター用オリジナルイフェクター"Chopper Pedal"を開発、製作する。市販の同等製品は未だに無し。

★1985

Sequential Circuit社のリズムマシン"Drum Tracks"用音源ROMセレクタを開発、製作する。
"POISON POP" アルファ・ムーンレコードよりメジャーデビュー。

★1985-1986

STUDIO "TAKE ONE"との非常勤契約で、同スタジオ所有の Fairlight C.M.I. のオペレーターを勤める。

★1986-現在

"KILLING TIME"EPICソニーレコードよりメジャーデビュー。アルバム4枚を出して、現在も活動中。

★1987-1988

STUDIO "TAKE ONE"にてSynclavierのオペレーションを習得。

★1987-現在

米国人VIDEO作家 Stephen Black とのコラボレーションを始める。
この頃より、本格的にTabla&Computer Player、作、編曲家、Engineerとして「ハイテク・ローテク」をモットーに、テクノロジーとアートの両面から音楽を捉えた独自のスタンスで、ステージ、 スタジオワーク、CM他、マルチな活動を始める。 編曲代表作:92'「どんじゃらほい(内25曲)」(太田裕美)、93'「ぼのぼの(内7曲)」(ゴンチチ)他。 作曲代表作:90'「窓」(4to3:小川美潮)、92'「ウレシイのモト」(同名:小川美潮)、93'「Chat Show」(れもんの月:小川美潮)他。 

★1991

編曲、演奏で参加の映画「無能の人」サウンドトラックは、日本アカデミー賞優秀音楽賞を受賞。

★1992-現在

FUNKバンド "MAMBABOO"にタブラと"エレキ能"で参加。(江戸屋百歌選1992/SALU収録)

★1994

岡崎倫典「夢で逢いましょう」(キャニオン)を岡崎倫典、John Jacobsと共に制作
(株)コルグの新製品"Wave Drum"の開発に一部関わる
富樫春生、青山純、伊藤広規らと今井美紀ツアー'94のサポートメンバーを勤める。キーボードを担当。

★1994-1995

(株)SYNVISIONの開発責任者として、コルグ社のシンセi-series用スタイルデータディスク全10巻を プロデュース。そのデータのクオリティの高さと斬新なアイデアが高く評価される。

★1993-現在

松下誠、青山純、伊藤広規と新グループ "Sons & Daughters" を結成。(江戸屋百歌選1993/TORI収録)海外での展開を睨んで準備中。

★1995-現在

Computer上のデータベースソフトによる会計請求システムを開発、(株)ペーハーサウンド他数件に納入。

★1995-1998

(株)B&Sクリエイティブよりヤマハカラオケのデータ制作を請け負う。データの質においては、かなり高い評価あり。のはず。

★1996

(株)BNN出版より、コンピュータソフト解説書「一目瞭然:ファイルメーカーPro3.0」を執筆。

★1998-現在

作詩、作曲、編曲家、エンジニア集団「プロジェクト・シナジー」を組織

★1999-2001

専門学校の講師の仕事を始める。広島、渋谷、新宿、上野の各校にてDigitalSound(midiやオーディオ 編集)他,「自己表現とコミュニケーション」(←これは面白いよ!)なんてことを教えてます。

★1999-2000

NTT Docomo関西のショールーム兼ラボのオープンに伴い、携帯電話用の着メロリアルタイム入力ソフトのディレクションに係わる。アプリ開発は(株)Kuwatec。

★2000-現在

有)デジタルシステムと年間契約。同社専用の事務処理ソフトを開発。

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